大好きな宝田明さんと、私自身のルーツのこと 宝田明「銀幕に愛をこめて」
無念の早退。
朝はわりかし元気に仕事出来たのに、午後、だしぬけにパニックに襲われ、そのまま体調不良で帰宅する事に。仕事は待ったナシな状態なので、3分の1日しか稼働出来なかったのは、痛すぎる。
自宅に戻ってうだうだしていると、同居人氏が帰宅してきた。そして差し出したのが、宝田明の伝記本「銀幕に愛をこめて」。
「ゴジラ」はもちろんのこと、「100発100中」の!「月給泥棒」の!「放浪記」の!宝田明の伝記ってだけでも買いなんだけど、本書の構成を務めているのむみちさんは、雑司ヶ谷の古書店「往来座」の店員さんにして、名画座好きの必需品「名画座かんぺ」の発行人さん。むかで屋も大変お世話になっている方なのだ。
同居人氏の差し出した本は、のむみちさんのサイン(「その場所に宝田明ありて」!)と宝田明氏のサイン(「飛翔」!)さらに、名画座かんぺの特別編も付属という豪華版。古書往来座で購入すると、この仕様(ただし、のむみちさんがご不在だとサインは貰えないと思うので、事前にご確認を)だそうです。
さっそく本を開いていそいそと読み始めています。
宝田さん、満州の生まれなんですね。私の祖父母(正確に言うと、父方の祖父母と母方の祖父)も、満州帰りだったので親近感がわく。
だけど、彼の語る満州からの引き上げの苦労は本当に壮絶で、満州にいた人たちは同じような辛酸を舐めていたのであろうと思うと……
私は、祖父母が満州から引き上げた経緯を正確に知らないのだ。母方の祖父とは同居していて、たまに祖父がもらす言葉から、ソビエトに拘留されていたのではないか、集団自決に立ち会った経験があるのでは?と、推定はしていたけど、祖父に余計な事を思い出させるのがしのびなくて、事実関係をただすことはしなかった。
祖父母から満州の体験を聞き取りたいとぼんやり思ってはいたけど、結局、実行に移せずにいるうち、それは不可能になってしまった。(父方の祖母は存命ですが、話を聞くのはちょっと難しい状態なので)
終戦時、11歳だったという宝田さんあたりの年齢が、戦争体験を詳細に語れる最後の世代だろう。その方達が存命中に、若い私たちが体験を継承していく必要がある。その意味でも、のむみちさんのこの仕事は、本当に貴重だと思います。
本日の5冊