カフカ「失踪者」、アリス・マンロー「イラクサ」、シルヴィア・ブラス「ベル・ジャー」

1.カフカ「失踪者」

 

失踪者―カフカ・コレクション (白水uブックス)

失踪者―カフカ・コレクション (白水uブックス)

 

    カフカには、長編小説が3作品あるのですが、その特徴は、いずれも完結していない事。
    この「失踪者」も未完の小説で、さらに言うと、タイトルも未確定。カフカを世に紹介したマックス・ブロートは、この小説を「アメリカ」と名付けており、角川文庫からはこのタイトルで発売されてます。
 

   ただでさえ難解なイメージのカフカの、しかも完結していない小説なんて読んで面白いのか?とお思いの向きもありましょう。私も、そう思っておりました。
   しかし、ちゃんと面白いのです、これが。
まずもって、カフカってそんなに重たい説を書く人じゃないんですよ。本人も自分の小説を読みながらクスクス笑ってたそうで、シレーっと笑かしに来たりします。
    未完である事に関しても、この小説の場合、おかしくも理不尽なシュチュエーションがいくつか串刺しになってる構成なので、あまり気にならないです。断片的に残っている「オクラホマ野外劇場」(なんか、ものすごく巨大な劇団らしい)のイメージが非常に鮮烈なので、もっと書いて欲しかった気はしますけどね。

 

〈女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまった。そこで十七歳のカール・ロスマンは貧しい両親の手でアメリカへやられた〉
    あまりにも、あまりにも素晴らしい書き出しで、この小説は始まります。
     女中の妊娠のくだりだけで、メロドラマ小説がひとつ書けそうですが、そこはカフカのこと、この件はうっちゃり気味に。
    我らの主人公カール君は、会社社長の甥っ子だと判明して上流の教育を受け、その伯父から勘当され、ホテルのエレベーターボーイとして額に汗して働き、ボーイをクビになり、怪しい放浪者コンビと一緒に肥満した女歌手の世話に精を出し……と、階級も場所もめまぐるしく移動する事に。
    基本的に、カール君がある場所にたどり着く→その場の「ルール」に適応する→なんか理不尽な理由でその場所から追放されるという天丼がこの小説です。

 

    カフカは、ディケンズなんかも好きだったそうで、その場その場の「ルール」に適応してゆくカール君の奮闘ぶりは、「成長小説」として楽しめちゃいます。
     特に、エレベーターボーイの仕事を必死にこなすあたりの描写が丁寧で、このまま一労働者として頑張るのも悪くない、と思えるほど。
    しかし、カール君が「ルール」に適応した頃合に、カフカは必ず主人公の登ったはしごを外してしまいます。そもそも、カール君が頑張って適応している「ルール」自体、読んでいる私達からすると、ちょっとおかしい。

そんな展開が繰り返され、カール君の生きる場所は狭くなり、属する階級(クラス)はどんどん落ちてゆきます。
     我らが成長小説の主人公をいたぶるカフカ先生の理不尽ぶりたるや、本当にひどくて笑えてしまいます。


    しかし、読者ははたと気づかされるのです。この理不尽、この不条理が、小説の中だけのものでは無いことに。カール君を翻弄する「ルール」、彼を縛りつけたかと思うと呆気なく切り捨てる「システム」、一度落ちたらなかなか這い上がれない「階級」は、現実世界に存在するそれの、カフカ的な似姿である事に。

    カフカは、小説家専業だった時期の極めて短い勤め人作家です。労災保険関係の仕事や、工場の運営に携わっており(ちなみに仕事ぶりは優秀だったそうです)、中流階級から労働者階級まで、様々な階級の労働者と接する機会もあった。「失踪者」には、職業人カフカの経験に裏打ちされた、「社会の本質的な理不尽さ」が、余すところなく書かれている気がします。

 

    なんて書いちゃうと難しい小説っぽくなるかな?でもでも、主人公の健気さは頭ぐりぐりしたくなるし、いきなりレスリングの技で襲ってくるツンデレ美少女も出てくるし、平熱でボケまくるカフカ先生にひたすら突っ込みをいれる楽しみを味わえるし、おもしろい小説です。

    おもしろくて、やがて恐ろしいですが。

 

2.アリス・マンローイラクサ

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

 

   これはかなりおとな向けの、渋い小説。

収録作の中では、O.ヘンリみたいな味のある「恋占い」、意外な人物の優しさが沁みる「浮き橋」、男性主人公なのでやや柔らかい「クマが山を越えてきた」が好きです。

 

3.シルヴィア・ブラス「ベル・ジャー」

ベル・ジャー (Modern&Classic)

ベル・ジャー (Modern&Classic)

 

    30歳で自殺してしまった詩人の、自伝的青春小説。
    アメリカでは、「ライ麦畑でつかまえて」の女子版と称されたりするらしいけど、確かに主人公の繊細さと、それに伴う残酷さを活写するあたり、通じるものがある。
    ライ麦畑と異なるのは、この小説の主人公が女性の肉体をもっている事。彼女は自分らしく生きようとしても、妊娠とそれに伴う人生の変化を恐れたり、初体験でも身体に傷を負ったり……ここら辺、読んでいて非常に辛いものがありました。
    一方で、ファッションや料理などの描写が見事。特に前半部分、夢見心地な筆致で描かれるニューヨークは素敵で、いい意味で「女性小説」だなあと思いました。

 

【本日の5冊】

「失踪者」より

カフカ事典

カフカ事典

 

 

 

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

 

イラクサ」より(カナダ繋がり……)

赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫)

赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫)

 

「ベル・ジャー」より

 

ありがちな女じゃない

ありがちな女じゃない