ハーモニー 温又柔「台湾生まれ日本語育ち」

    温又柔さん。

表紙にあるアルファベット表記は「Wen Yuju」、文中に出てくる中国語読みは「ウェンヨウロウ」、彼女自身の自己紹介と先日拝聴したトークセッションで(日本語ネイティブから)呼ばれていた読みは「おんゆうじゅう」。

作中、中国語ネイティブの人が彼女の名前を、「やさしそうな名前」と評する場面があるけれど、日本語ネイティブの私から見ても、「温又柔」という文字列、「おんゆうじゅう」という響きは、とても暖かく柔らかく感じる。

 

    私よりひとつ年下の彼女は、台湾に生まれ、3年足らずで日本に引っ越し、その後は日本社会で成長した。

一番得意な言語は日本語、文章も日本語で綴る。

   しかし、発話が早かった彼女が最初に話したのは、台湾で一般的な中国語(と、少々の台湾語)だし、父母の話す言葉は中国語台湾語日本語の混交した「ママ語」、さらにさらに日本統治時代に教育を受けた祖父母とは(少し古風な)日本語で話す。

    高校大学では彼女自身の選択で中国語を学び、韓国語も勉強中とある。

 

    さっき私は、極めて雑に日本語ネイティブという言葉を使ったけど、彼女がどの言語の「ネイティブ」なのか?彼女にとって「母語」はどの言語なのか?考えようとしても、考えつかない。

 

    さらに、彼女が置かれた言語環境のバックボーンを思うと、私はもっとくらくらしてしまう。

    彼女の父母の代は、国民党政府により台湾語を抑圧され中国語を身につけた世代だし、彼女の祖父母が「古風な」日本語を話すのは日本がかつて台湾を侵略していたからなのだ。

    温又柔という個人の言語環境に、これだけ複雑な背景がある、東アジアの歴史が流れていると思うと、圧倒される。

 

    と、同時に何の疑いもなく「日本語ネイティブ」と名乗れてしまう、日本生まれで日本語話者の両親の下に育ち、教育も日本語で受けて、日本社会から一歩も出ることなく生きてこれた自分にとっての、「日本語」って何だろうか?と、考えさせられた。

 

    例えば、コンビニエンスストアで、外国の名前が記された名札の店員さんが、たどたどしい「日本語」を話す時、その「日本語」に苛立ちを覚えて「「日本語」を話せる店員はいないのか」と舌打ちする時、私たちは当たり前の様に、「自分たちの日本語」こそが正しい日本語だと信じ、目の前の店員さんにその日本語を押し付けようとするけど、本当に「私たちの日本語」だけが日本語なんだろうか?

    

    少なくとも私は、日本語を「日本人」なんて狭い括りに入る人間だけで、独占したくない。

    日本語ネイティブ様が制定する「正しい日本語」なんて、はっきり言って下らない拘りだ。

    多少発音がぎこち無くても、文法が独特でも、その人、その人の数だけ「日本語」があり、「ことば」がある。

   それって、本当に風通しが良いし、心地よいじゃないですか。

 

 

    様々な逡巡を経て、自分は「日本語に住んでいる」と思うに至った温又柔さん。

    同じ日本語の軒下を借りている1人として、彼女の「日本語、ニホンゴ」にもっと耳を傾けていたいと思う。

 

【本日の5冊】

 

台湾生まれ 日本語育ち

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日本語ぽこりぽこり

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日本語の外へ (角川文庫)

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アメリカは食べる。――アメリカ食文化の謎をめぐる旅

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呂赫若研究―1943年までの分析を中心として

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